本集简介
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今天呢,我想谈谈所谓'意识高涨族'并非真正思想流派这个话题。
今日はですね、意識高い系は思想ではないというお話をしようと思います。
这次要讨论的'意识高涨族'这个词汇本身,其实是个有点过时的说法。
今回取り上げるこの意識高い系っていう言葉そのものは、ちょっと古い言葉になります。
它最初出现的时间可以追溯到2000年代中期。
もともと登場したのが、その期限が 2000 年代半ばですね。
最初是作为形容勤奋优秀学生的褒义词来使用的。
当初は非常に熱心で優秀な学生を指すポジティブな用語として使用されていました。
但到了2010年代后,比如在社交网络上过度自我标榜,或是频繁使用晦涩的商业术语。
しかし、それがですね、2010 年代以降、例えばインターネットの SNS で過剰に自分自身をアピールしたりだとか、あるいはちょっと小難しいビジネス用語をね、連発したり。
又或是沉迷于成功学书籍这类东西,虽然看似努力但缺乏实质内容,逐渐演变成常被嘲讽的对象。
あるいはまた、自己啓発本みたいなものに傾倒するような感じで、努力はしてるんだけれども中身がなくて実態が伴っていないという風によく皮肉られるような感じになったんですね。
其背景在于经济长期不景气,学生就业形势日益严峻,同时网络社交环境也日趋成熟。
で、その背景としては、不況がずっと続いて、学生たちの就活っていうのもどんどん大変になっていったし、また、インターネットでは SNS の環境というのがかなり充実していって。
这使得个人自我表达变得越来越便利。
個人がどんどん自己発信というのはですね、やりやすくなったという いうのがあったということです。
因此,'意识高涨族'这个词已经在社会中扎根了。
で、意識高い系っていう言葉が社会に根付いたということであります。
那么,最近这个'意识高涨族'的说法,可能比起以前听得少了,但我觉得职场上应该还是存在这类人的。
で、それでですね、あの、どうなんでしょうね、最近、意識高い系っていう言葉は以前と比べると、あの、あまり聞かれなくなったのかもしれないんですが、やっぱりまだ多分職場にはいると思うんですよ、意識高い系の人。
或者说,这次我们要探讨的'意识高涨族'学生的本质部分,我认为这个词其实并不是指真正意识高的人。
あるいは意識高い系の学生っていうのはですね、今回考えていくのが、その本質の部分というかですね、私が思うに、この意識高い系っていうのは、本当に意識が高い人のことを。
我指的并不是这个意思。
指すんじゃないと思うんです。
同样,它也不是指那些正在努力的人。
それからまた、努力している人のことでもないんですよね。
我认为,它指的是通过谈论抽象词汇和理想来感觉自己正在成长的状态。
そうではなくて、抽象的な言葉、それから理想というものを語ることで自分が成長しているというふうに感じている状態のことを指すんだと私は思います。
或者说,是通过让自己看起来在成长来构建自我认同的状态。
あるいは成長しているように見せることで自己を成立させているっていう状態です。
比如他们会这样说:
例えばこんな風に言います。
比如说什么速度很重要啊,创造价值很重要啊,必须持续成长啊之类的话。
スピードが大事ですとかね、価値を出すことが重要ですだとか、成長し続ける必要がありますっていったような言葉。
这些话乍一听似乎很有道理,但具体指的是什么却很模糊。
これら、ちょっと聞くとね、一見もっともらしいんですが、具体的に何を指しているのかは曖昧なままです。
到底是指什么的速度呢?
一体何のスピードなのかと。
还有,虽说价值很重要,但究竟是哪种价值,又是怎样的成长呢?
また、価値っていうけれども、どの価値なのか、それからまたどのような成長なのかということなんですよ。
即使这部分很模糊,作为日语对话却依然能够成立。
この部分が曖昧であっても、一応日本語の会話としては成立してしまうんです。
重要的是,这并不是个人性格的问题。
そして重要なのは、これは個人の性格ではないということなんですよ。
所谓'意识高'并不是一种思想,而是由环境维持的状态。
意識高い系というのは思想ではなくてですね、環境によって維持される状態です。
那么,在什么样的环境下这种状态能维持呢?首先第一个就是能用抽象词汇应付过去的环境。
では、どのような環境でこの状態は維持されるのかということなんですけれども、まず一つ目は、抽象語で通用してしまう環境なんです。
例如,在会议或社交媒体上,诸如价值、挑战、成长之类的词汇满天飞,却没有人具体定义它们。
例えば、会議だとか、SNS において、価値とか、挑戦、成長といった言葉は飛び交うんですが、それを具体的に定義する人はいません。
即便如此,对话仍能成立,甚至会被评价为'说得不错'之类。
それでも会話としては成立してですね、むしろいいこと言ってるじゃないかみたいに評価されてしまうんです。
在这种环境中,氛围比具体内容更容易获得好评。
この環境では具体性よりも雰囲気の方が評価されるようになります。
第二点是存在缺乏量化评估的环境。
2 つ目としては、数値で評価されない環境があります。
是的,销售额和成果没有明确的第三方进行衡量。
ええ、売り上げ、それから 成果というものが明確に第三者によって測定されないんです。
或者即便有衡量标准却不影响评价时,表面功夫就会变得重要起来。
あるいは、測定されていても評価に結びつかないという場合、それっぽさっていうのが力を持つようになります。
比如看起来聪明之类的。
頭良さそうだとかね。
也可能是因为显得睿智。
賢そうだっていうのもあるかもしれない。
而实际上是否取得成果并不重要,
で、実際に成果を出しているかどうかではなくて、
评价标准变成了看起来是否努力工作、是否有上进心的印象。
仕事を頑張っていそうか、意識が高そうかという印象が評価軸になります。
第三点是缺乏反馈的环境。
3 つ目は、フィードバックが来ないという環境ですね。
不会有人提出‘这具体是什么意思’的疑问。
それは具体的にどういう意味ですかという問いが出てこないんです。
或者当提出这类疑问时,周围氛围会变得尴尬,在这种状态下,话语未经检验就只在本人内部被理解。
あるいはそういう問いを発すると、あの、周りの空気が悪くなったりする、あの、この状態においては、言葉というのは検証されずに本人の中だけで理解されたことになり。
。
ます。
然后第四点是同类人聚集的环境。
で、そしてあの 4 つ目がですね、同類が多い環境っていうのがあるんですよ。
所谓‘高意识人群’多的地方,基本上周围人都在用相似的话语互相肯定。
あの意識高い系の人が多いってこと っていうのはですね、だいたいにおいて、その、周りが同じような言葉を使って互いに肯定し合います。
啊,说得真好,我深有同感——这样的对话会不断重复。
ああ、いいこと言いますね、共感しました、といったようなやり取りが繰り返されるんです。
于是,这里就形成了一个强大的循环。
で、ここで強いループが生まれてきます。
使用那些抽象术语。
あの抽象語を使う。
然后获得共鸣。
そして共感されると。
当这种认识被确认为正确时,就会继续使用更多抽象术语,陷入这种相互认可的循环中,外界的修正意见就难以奏效了。
で、また正しいというふうに 認識すると、またさらに抽象語を使うという、この相互承認のループに入っていくと、外部からの修正というのが効かなくなってきます。
而这一点至关重要。
そして、ここが重要です。
当‘高意识人群’周围全是同类时,这个循环会进一步强化。
意識高い系の周りに意識高い系ばかりがいる場合っていうのは、このループがさらに強化されていきます。
所有人都用相同的语言交流,并以相同的价值观评价彼此。
全員が同じ言葉で会話をしてですね、同じ価値観で相手を評価する。
因为互相评价,那种违和感本身就会逐渐消失。
評価し合うため、違和感そのものが消えていくんですよ。
结果就是,人们会意识不到自己身处抽象概念之中。而更麻烦的是,
で、結果としては自分が抽象の中にいるということに気づけなくなります。で、さらに厄介なのは、
当前辈也是高意识群体时,处于上位的人用同样的语言进行同样的思考,这就会被当作正确的方式来学习。
先輩も意識高い系である場合ですよ、上の立場の人間がですね、同じ言葉を使って同じ思考をしていると、それが正しいやり方だとして学習されていきます。
新人或年轻人通过模仿这种方式获得认可,从而在结构上无法摆脱。
で、新人や若手というのは、それを模倣することで評価されるから、構造的に 抜け出せなくなるということです。
也就是说,高意识群体不是个人问题,而是具有自我复制的机制。
つまり意識高い系っていうのは個人の問題ではなくて、再生産される仕組みを持っています。
那么,如何才能从这种状态中摆脱出来呢?
では、どうすればこの状態から抜け出せるのかということです。
答案其实非常简单。
答えは 非常に単純です。
就是要与现实建立连接。
現実に接続されることなんですよ。
首先就是要掌握具体数据。
それはまず数字を持つということですね。
还有就是必须切实承担起对事物结果的责任。
また、物事の結果責任というのをきちんと負うということですよ。
同时还需要产出具体的成果。
また、具体的なアウトプットっていうのを求められるということですね。
在这种环境下,仅靠抽象术语就行不通了。
この環境に置かれると、抽象語だけでは通用しなくなります。
比如说提到速度,就要明确具体时间;说到价值,必须说明是对谁而言的价值。
例えば、スピードといえばどれぐらいの時間なのかとか、あるいは価値なんて言ったら誰にとっての価値なのかということですね。
而谈到成长,如果不能清楚说明什么发生了怎样的变化,就无法获得认可。
で、成長といえば、何がどのように変化したのかと、これをきちんと説明できなければ評価されないんです。
嗯,按理说本该如此。
あの、普通はそうだと思うんですけどね。
但现实中确实存在不少并非如此的环境。
なかなかそうじゃない環境ってあると思うんですよ。
正是在那时,语言才开始具体化,思维被拉回现实。
で、その時になって初めて言葉というものは具体化されていき、思考が現実に引き戻されていきます。
那么总结这次谈话,所谓'意识高'的状态,
で、今回の話、最後にまとめますと、あの意識高い系っていうのは、
就是依靠抽象语言来构建自我的状态。
抽象語で自己を成立させている状態です。
而这种状态是由抽象语言适用的环境所维持的。
そしてそれは抽象語で通用する環境によって維持されます。
当同类聚集、缺乏反馈、前辈也处于相同结构时,这种状态就会牢固地固化。
同類が集まって、またフィードバックがなくて、先輩も同じ構造にいる場合、その状態は強固に固定されていきます。
然而一旦与现实接轨,人是会改变的。
しかし、現実に接続されれば人間というものは変わっていくものです。
问题在于,这并不是能力的问题。
問題はですね、能力ではないんですよ。
而仅仅在于你身处怎样的环境。
どの環境に身を置いているか、それだけであります。
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