本集简介
双语字幕
仅展示文本字幕,不包含中文音频;想边听边看,请使用 Bayt 播客 App。
在《轻松语言学广播》中留下名字的沃尔夫,以萨丕尔-沃尔夫假说闻名。
ゆる言語学ラジオサピアウォーフの仮説に名前を残すウォーフ。
他写的面向大众的论述虽然引起了很大反响,但也引发了争议。
彼の書いた一般向けの論考は大いにバズったんですけど、炎上しました。
继上次之后,这是第二次谈论沃尔夫,我们先简单回顾一下吧。
前回に続いて、ウォーフについて語る2回目なんですけれども、ちょっとだけおさらいしましょうか。
沃尔夫的主要观点是,他研究的霍皮语使用者——霍皮族,对时间的认知与我们完全不同。
ウォーフ、どんなこと言ってたかっていうと、彼が研究してたホピ語話者のホピ族は、我々とは時間の認識が全く異なるんだと言っていたんですね。
他之所以提出这种主张,是因为霍皮语表达时间的方式与英语截然不同。
なんでそんな主張したかというと、ホピ語の時間の表し方が英語と全く異なるんだと。
具体来说,霍皮族的分类体系将世界分为已显现的事物和正在显现的事物。
具体的には、ホピ族のカテゴリーっていうのは、世界を現れたものと現れつつあるもの。
也就是说,他们认为世界是通过主观世界和客观世界来认知的。
つまり主観的な世界と客観的な世界で認識しているのだという主張してました。
真是了不起的世界观啊。
すごい世界観だよな。
非常有说服力。
すごく説得力あるわけです。
不过,也遭到了各种批评。
ただ、いろんな批判が来ました。
首先是水野大树提出的意见,他说'在我看来,如果把这理解为语法化现象,其实也没什么特别奇怪的'。
まずですね、水野大樹さんからの意見なんですけれども、お前から、はい、僕が読んで思ったこと、これ文法化だと捉えたら大して不思議じゃなくないかっていうのが僕の意見です。
语法化是什么意思?
文法化ってなんすか。
是的,这个词有非常具体的含义。
はい、これはすごく具体的な意味を指してた。
比如说,名词或动词逐渐承担抽象语法功能的变化过程就叫做语法化。
例えば、名詞とか動詞が 抽象的な文法的な役割を持つように変わることを文法化といいます。
能举个例子吗?
例欲しいな。
好的,比如'be going to'这个结构表示什么?
はい、ビーゴーイングトゥってどこ行くんですか。
是计划。
予定だ。
类似这样吧。
みたいなね。
有时候会这么说呢。
時に言うよね。
那个是要去哪里的?
あれどこ行くんですか。
确实哪里都没去呢。
確かにどこにも行ってないな。
确实没去呢。
行ってないですよね。
虽然说了go(去)呢。
ゴーって言ってるけどね。
是的。
はい。
‘go’原本是表示具体移动的动词,后来演变为表示未来时态的抽象语法范畴了,对吧。
ゴーは具体的な移動を表す動詞だったわけですけど、それが未来を表す時制、つまり抽象的な文法範疇に変わったわけ ですよね。
对吧。
よね。
而沃尔夫提到霍皮语在表达过去时,是通过表示原因的接尾词来体现的,直译的话,要说‘因为吃完了所以停止进食’这样的表达方式。
で、ウォーフはホピ語に関して過去を表すとき、どうやって表すかというと、原因を表す接尾辞によって表されるんだと言っていて、直訳するとしたら食べたっていうために、それは食べられることがやむ。
也就是说必须用‘意味着停止’这样的说法来表达,他是这么解释的。
つまりやめるってことですねっていうような言い方をしなきゃいけないのだ、みたいなことを言っているんですね。
原来如此。
なるほど。
所以这就是刚才说的从‘正在显现’到‘已经显现’转变的理论依据吧。
だからそれがさっきの現れつつあるものから現れたものへ変わる の論拠になってるってことだと思います。
嗯。
ん。
‘停止进食’是什么意思?
食べることをやむはなんなの。
已经显现的。
現れたの。
就是这个。
これがそうです。
我想这大概就是霍皮语时态中用来表达'已显现事物'的表现形式。
多分、ホピ語の時制で言うところの現れたものを表現する際に使う表現だということだと思います。
啊,这么说来,'正在吃'这种说法更偏向主观感受,而'吃完了'则像是作为客观事实留存下来的感觉吧?
ああ、まあまあだから今食べてるよ、の方がどっちかっていうと主観的っぽくて、食べることを終えたみたいなのが客観的事実として残ったみたいなニュアンスなんですかね。
我认为是的。
そうだと思います。
大概吧。
おそらく。
关于这点我的想法是,确实啊,'食物被吃完'这种表达方式感觉很奇特,虽然有趣,但日语又是怎样的呢?
僕これについて思うのは、確かによ、それは食べられることがやむっていう言い方はかなり奇妙に感じますけど、面白いけど、じゃあ日本語どうなん。
希望大家能思考一下这个问题。
って考えてみてほしいんですね。
好,现在我们来复习一下。
さあ、ここでおさらいですよ。
来了。
来ました。
还有日语的。
他です、日本語の。
啊,很久之前在其他系列,特别是其他系列中,有位叫高田昌史的研究者来过,从其他历史角度进行解释的那一集。
あー、だいぶ前にやったのは他のシリーズ、特に他シリーズの中でですね、他の研究者である高田昌史先生が来て、他の歴史的な観点で説明をしてくれた回があったんですね。
是有这么一集。
ありましたね。
稍微复习一下,这个原本是从哪里来的来着?
ちょっとおさらいすると、って元々どっから来たんでしたっけ。
是什么来着,我记得是古文里的那个。
なんだっけな、古文のそれなんだって思ったんだよね。
对,就是表示完成的那个用法。
そう、そうなんかあの完了を表すやつですね。
是从那里来的吧。
から来たんだっけ。
的部分呢。
の部分ですね。
啊,好像是这样的。
ああ、そうだった気する。
那期节目因为不是数字回,没被外部媒体采访提到过,所以没回顾就记不清了,好险。
あの回、あんまり数字回ってないから、外部メディアとかの取材で言われることなくて、見返さないからうろ覚えだったけど、危なかったです。
那期其实挺有意思的。
あの回面白いんだけどな。
那期虽然有趣,但不太记得了呢。
あの回、面白いけど、あんまり覚えてないよね。
是啊,真可惜。
そうね、もったいない。
正因为这样,媒体采访也从没问过那期内容,所以一直没复习直到今天。
そうだから、メディアの取材とかでも、あの回について聞かれたことが一回もないから、復習しないまま今日に至りました。
请复习一下。
復習してください。
务必。
ぜひ。
那一集很有趣的。
あの回面白いから。
对了,塔利是从哪里来的来着?
で、タリってどっから来たんだっけ。
啊——是什么来着,那个我们也做过。
あーなんだっけ、それもやったなあれ。
'利'是可以分开的吗?
リって分割できるんだっけ。
对对,那个'利塔利'的'利'部分还保留着吗?
うんうん、なんとかリタリのリの部分はそのまま残ってますかね。
感觉像是'塔利'这样。
タリみたいな感じです。
手有,好的,好好好,找到了。
手あり、はいっ、はいはいはい、あったわ。
手有。
手あり。
从'たり'演变而来,最终成为现代语的'た'。
からたりになり、それが現代語のたになったって。
原来如此,原来如此,高田老师解释过呢。
なるほど、なるほど、高田先生、説明されてましたね。
那,'手有'原本是什么意思来着?
で、手ありってどういう意味だったっけえ。
就是表示'某某行为存在'之类的吧。
だから何々してありみたいなことでしょ。
对,也就是说'某某行为存在着'对吧。
そう、つまり何々して存在するって言ってますよね。
要是啊,在日语'手有'刚开始变成'たり'的时候,如果沃尔夫来到日本,告诉当时的日本人'你们表达过去时的方式是某某行为存在着,与我们完全不同的时间观念',估计当时的说话者...
もしさ、日本語の手ありがたりになり始めたタイミングとかにウォーフが日本に来てたら、日本の人たちは 過去を表す時の表現は何々して存在するという我々とは時間感が全く異なるのだって言われたら、多分当時の話者って。
不,我并没有那样理解'たり'这个用法。
いや別にたりを俺そんな風に認識してないですけど。
不会变成那样啦。
ってなりません。
确实呢。
そうだね。
因为我们现在用'何々した'的时候也没想过这是'手あり'的用法,就算被告知这是在用表示存在的词来表达过去,也完全无法理解,就是这么回事。
だって俺らが今何々したって使ってる時も手ありだと思って使ってないから、それを過去を表すのにこいつら存在の言葉使ってるって言われても全くピンとこないのせやなってだけですよ。
而且我也没有意识到这点。
あと意識してないしなっていう 僕が。
所以如果现在去美国,说英语的人在表达未来时会用'正在前往吃东西的路上'这种说法。
だから今からアメリカに行って、英語話者というのは、未来を表すときに食べることへ行きつつあるという。
主张说这与我们的时间观念完全不同。
これは我々の時間観とは全く異なるのだって主張。
那会怎么样呢?
そしたらどうでしょう。
美国人把未来全都视为移动的过程。
アメリカ人は未来をすべて移動と捉えているのだっていう。
这不是能随便说出'简直可以这样说'之类的话吗?
むちゃくちゃ言えるもんねってみたいなこと言えちゃうわけじゃないですか。
那么重点在于,可以说这是关于时间的表达方式吗,就像这样指代动作的体貌特征。
で、ポイントは時間の表現とか言っていいですか、こうやってアスペクト動作の局面を指す。
比如相对于'吃',有'正在吃'这样的进行时态。
食べるに対して、食べつつあるとか、進行形みたいなのがそう。
开始吃之类的也是呢。
食べ始めるとかもそうですね。
虽然进行时也是体貌的一种,但像时态或体貌这样的概念,并非突然产生这种表达,而多是经过语法化形成的。
進行形もアスペクトですけど、そういうテンス時制とかアスペクトとかっていうものって、いきなりそういう表現が生まれるんじゃなくて、文法化して生まれていることが多い。
所以,原本是其他含义的词语被转用来表示动作的状态。
だから、もともと別の意味だった言葉を転用して、動作の様子を表すのに使う。
是的,比如英语里表示完成体的'完成'怎么说来着?
はい、例えば英語だってアスペクトを指す完了ってどうやって言うんでしたっけ。
是have加过去分词吗?
ハブプラス過去分詞ですか。
have呢,原本是表示拥有的意思对吧,确实。
ハブはね、持つとか持つでしたろ、確かに。
比如说,I have finished my homework这样的句子,原本语序应该是I have my homework finished对吧。
例えば、だからアイハブフィニッシュドマイホームワークみたいなんって、もともと語順はアイハブマイホームワークフィニッシュドだったわけですね。
SVOC结构。
SVOC。
也就是说,从'我拥有已完成状态的作业'变成了'我完成了作业'这样的表达方式。
つまり、私は終えられた状態の宿題を持っているから、宿題を終えたっていう風に変わったわけですね。
所以时态和体貌特征直译出来会显得奇怪是很自然的事。
ですから、テンスとかアスペクトを直訳したら奇妙になるのって当たり前のことなんですよね。
是啊,要是用英语直译的话,别人会觉得这人根本不会翻译呢。
そうだね、英語でそれやってたら、こいつ翻訳できないなぁって思われるもんね。
我们不会说'我拥有已完成的作业'这样的话。
私は終えられた宿題を持っているとか 言わないもんね。
不会这么说对吧。
言わないですよね。
所以,如果直接将某种语言的时态或体态直译出来,听起来会非常奇怪,这是不可避免的——正如水野大树先生提出的批评所言。
だから、ある言語のテンスとかアスペクトみたいなのを直訳しちゃうと、すごい変に聞こえるのって仕方がないことなるほどなんですっていう批判が水野大樹さんから寄せられた。
这位,就是那个叫水野大树的家伙吧,是你吗?
こちら、あの水野大樹さんというですね、お前か。
不对不对,快告诉我学术界提出的批评意见。
違う違う、学術界で寄せられた批判を教えてくれよ。
啊,是这样啊。
ああ、そうですか。
你一直在讲自己的观点。
お前の視点をずっとしゃべってた。
你想听那边的意见吗?
そっち知りたいですか。
不过那个说法也很有说服力呢。
でもそれも説得力あるよね。
要不是被说是水野大樹先生提出的,可能还发现不了呢。
水野大樹さんからだって言われなければバレなかったかも。
如果被告知是语言学家的指摘,确实会让人信服呢。
言語学者からの指摘ですって言われたら確かにってなってたわ。
啊,是因为我的缘故才这样的吗?
あ、僕だからどうだったんすか。
觉得没有听取的价值啊。
聞く価値がないなって。
因为那家伙的意见根本无所谓嘛,是这样吗?
そいつの意見どうでもいいからなって、そうですか。
连博士学位都没有的人说的话,一点听的价值都没有啊。
博士号持ってないやつの話なんて一個も聞く価値ないなって。
沃夫也没有啊,那确实,我也没有呢。
ウォーフもねえよ、じゃあ本当だ、俺もねえわ。
或者说你也没有啊。没错。
っていうかお前もねえよ。そうだよ。
简单来说,现在的话题和之前色彩系列第一集里讲的内容是相通的,就是那种用本国文化去理解异文化结果闹出笑话的情况。
要は今の話って、ちょっと前のね、色シリーズの 1 回目で話した、異文化を自国文化になぞらえて理解したから珍妙なことになったっていう話と繋がってるわけです。
没错,我们和这里不一样呢。
そうだね、俺たちとここ違うなぁ。
也就是说,这肯定是某种‘这里一定有什么不对劲’的强行套用对吧。
ってことは、こんなおかしさがあるに違いないっていう当てはめだよね。
是的。
はい。
另外这个呢,是高田老师检查剧本时给的评论——还记得时态、体、情态这些概念吗?
あとこれはですね、高田先生から台本をチェックしてもらった時にもらったコメントなんですけど、テンス、アスペクト、モダリティーとかって覚えてる。
就是TMA范畴那类东西对吧。
ティーエムエー範疇みたいなやつだよね。
对对,是什么来着...加油想起来啊。
はいはい、なんだっけ、頑張れ。
哇,是什么来着...哇,是什么来着...加油啊堀本先生。
うわ、なんだっけな、うわ、なんだっけな、頑張れ堀本さん。
等一下,我们绝对学过情态。
ちょっと待って、モダリティー絶対習ったぞ。
是语气对吧?
ムードだよね。
对,你可以把语气和情态理解成同一个概念。
そう、ムードとモダリティー一緒だと思ってもらっていいです。
好像有提到过类似的内容。
出てきてるみたいなね。
是的,就像虚拟语气那种。
はい、仮定法みたいなやつだ。
嗯嗯,说'如果这样的话'之类的就是情态对吧?
うんうん、もしこうだとしたら、みたいなのを言うのがモダリティーじゃなかったっけ。
没错,情态是指说话者对事件的判断或认知的表达形式,所以像'肯定是情态'这种主观表达就属于情态范畴。
そうですね、話者が出来事に対しての判断とか認識を指す形式がモダリティーなので、主観的なものがモダリティーかに違いないとかのはずだ、とかね。
这些内容也确实属于情态范畴,对对。
こういうのもモダリティーに含めて そうだったそうだった。
然后,刚才讲过了体(aspect)的概念。
で、アスペクトはさっきやった。
而时制(tense)就是指时间的概念。
で、テンスっていうのは時制のことですね。
然后我们说过这些内容有时会被统一归为TMA范畴。
で、これがなんか一色単にまとめてティーエムエー範疇って言うんだ、みたいな話しましたね。
在其他课程中提到的一个重要观点是,这些概念往往难以完全区分,或者说时制形式可能同时兼具体和情态的功能。
で、他の回で話したことの一個の大事な指摘 ってのは、これがあんまり切り分けられないとか、あるいはそのテンスの形式がアスペクトやモダリティーも兼ねるんだ、みたいな話をしたんですね。
原来如此。
なるほど。
我觉得记得这点的人可能不多,复习一下的话,当时的重要观点是它不仅仅表示时制。
これちょっと覚えてる人あんまりいないと思うんで、おさらいするとたって時制だけを表すわけじゃないんだっていうのが重要なあの時の話でした。
就像那个例子,糟糕,今天是她生日时用的过去式其实不是真正的过去时,对吧?
あれだ、やべ、今日は彼女の誕生日だったっていう時のたって過去じゃないじゃんっていう話ですよね。
是的,虽然有人称之为发现过去式,但它实际上表达的是那种发现的感觉。
そうですね、発見のたとか言われたりしますけれども、それを発見っていう感覚を表してる そう。
此外,关于'他'在体(aspect)之外的用法,比如'作业终于完成了'中的'他',这里表示的是完成的意思。
それから、アスペクトの他ってのは、宿題がやっと終わったの他だから、それは完了ってことだね。
是的,表示完成。
そうですね、完了ですね。
所以说,日语的'他'可以同时表示时态(tense)、体(aspect)和情态(modality)。
だから、日本語の他って、テンスもアスペクトもモダリティーも表しているんだと。
我们之前讨论过这很神奇,但不同语言会侧重不同方面——有的语言主要通过时态来覆盖这些功能。
不思議だねっていう話をしたんですけど、言語によってテンスでめっちゃカバーする。
主要有三种模式:主要通过时态覆盖的语言、主要通过体覆盖的语言,以及主要通过情态覆盖的语言。
言語アスペクトでめっちゃカバーする言語、モダリティーによってめっちゃカバーする言語っていう 3 パターンが。
原来如此,霍皮语就不太用时态来覆盖,而是用体(aspect)对吧?
で、なるほど、ホピ語ってのはあんまりテンスでカバーしない代わりに、アスペクトですかね。
如果理解为'正在显现'、'已经显现'、'完成'或'动作开始'这类概念,确实更像是体的范畴——本质上霍皮语是通过不发展时制,
これは現れつつあるとか、現れたっていうのと、完了とか、動作の始動みたいなものと考えるなら、アスペクトっぽいと思うんですけど、要はホピ語は時制が発達しない代わりに。
而极度依赖体来实现时间表达的。从那些主要依靠时制运作的语言使用者的角度来看,就会觉得这种语言真奇特,对时间的认知方式与我们完全不同。
アスペクトでめっちゃやりくりしているなるほどで、それを時制でめっちゃやりくりしてる言語の話者から見ると、なんて変わった言語なんだって時間の捉え方が我と違うってなったんですね。
虽然会变成那样,但语言学讨论中似乎存在一种观点认为其实并非如此,恐怕这次的情况也是如此。
そうなるんだけど、別にそういうことじゃないよっていう話が言語学の議論の中であるらしく、おそらく今回のケースもそうであろうと。
也就是说,只是作为语法采用了不同的表达方式,实际看到的景象并没有太大差别,可以这样理解对吧?
だから文法として何を採用してるかが違うだけであって、見えてる景色は別にそんなに変わらない というようなことが言えるっていうことですね。
更进一步说,提到沃尔夫著作的日译本,主要是《语言、思维与现实》这本书,译者池上嘉彦教授在前言中写道:
で、もっと言うと、オーフの日本語訳された著作というと、この言語、思考、現実っていう、この本がメインになるんですけど、前書きでこの訳した池上嘉彦先生が書いてるのは。
他指出日语中也存在与霍皮语相似的现象,比如英语中用现在时表达'公交车来了'。
日本語でもホピ語に似た現象起きてるよ、と書いていて、バスが来たって英語では現在で表しますよね。
会说成'Here comes the bus'这样的表达对吧?
ヒアカムズ・バスみたいな言い方をしますよね。
关于'Here comes the bus'这个说法,确实有点复杂但又是统一的表达,我实际见过这样的例句,所以我想英语母语者应该也会说'Here comes the bus'。
ヒアカムズバスっていうの、そうですね、これ、あの、ちょっとね、ややこしくて統一してるんですけど、僕はちょっとこういう例文を見たことが実際に、なので、多分英語話者の方もヒアカムズバスって言うと思いますね。
所以是用现在时态表达对吧?
だから現在形ってことですね。
是的,回顾一下,'公交车来了'这种说法感觉像是过去时。
そうですね、おさらいすると、バスが来たなんか過去っぽい。
但是,英语里说'here comes the bus'用的是现在时。
でも、英語はヒアカムズ・バスだから現在形。
确实挺有意思的。
確かに面白いな。
日语里应该也能这么说吧?
日本語でも言えるんじゃね。
不过想想又觉得有点怪。
と思ったけど、変だね。
在公交站时我们不会说'巴士来了'吧。
バス停にいる時にバスが来る とは言わないもんな。
如果说'正在来'的话就说得通了。
来ているならいけますね。
这样就能理解了。
いけるね。
只要加上体态就能成立。
アスペクトを足せばいけるけど。
那么,在日语中,'ザバスケーム'就是'巴士来了'对吧。
で、ザバスケームは日本語でバスが来たですよね。
所以在日语中,无论是现在还是过去,都可以说'来了'。
だから日本語だと現在でも過去でも来たと言えるそうですね。
现在巴士正在到来,或者过去巴士已经到来,两者都可以用'巴士来了'表达,这与英语有些不同,作者认为这可能部分类似于霍皮语中发生的现象。
今バスが来てるのも、過去にバスが来たってのも、どっちもバスが来たって言えるという意味では英語とちょっとずれていて、これは部分的にホピ語と同じようなことが起きているんじゃないかと書いているんですね。
原来如此。
なるほどね。
嗯,确实是这样。
うん、そうだね。
所以极端地说,如果沃尔夫来到日本,可能会说:'喂喂,这些人明明现在巴士要来,却说巴士来了',认为他们是把现在当作过去来感知的人。
だから極端な話、ウォーフは日本に来てたら、おいおいこいつら今バスが来るのに、バスが来たって言ってるぞと現在を過去として捉える感性の持ち主だ、みたいなことを言うかもしれない。
从极端角度来看,确实可能会这么说。
極端な見方すると、そういうふうに言いかねない。
甚至可以说他们是生活在过去的人呢。
彼らは過去を生きているのだとか言えそうだよね。
就像在指责老年人时那样。
老害を避難する時みたいな。
其实沃夫对日语也有部分描述,我们最后会稍微讨论一下。
あのウォーフは、実は日本語についての記述も部分的にあるので、ちょっと最後に少し話しますね。
再看一些对沃夫更严厉的批评,在色彩系列中多次引用的盖伊·多伊彻的《语言不同,世界观也不同》这本书里提到的批评。
もうちょっとウォーフに対しての手厳しい批判見ていきますと、色シリーズで何回か引いたこのガイ・ドイッチャーの言語が違えば世界も違って見えるわけの中で紹介されている批判を取り上げ。
书中指出,沃夫惯用的手法是:先提出一个古怪的语法特征,然后插入'因此'之类的连接词,就推导出极其古怪的思维方式。
すと、ウォーフが得意としたのは、まず風変わりな文法的な特徴を一個提示し、だからとか、したがってという一語を挟んで、極めて風変わりな思考の仕方を導くという論法なのだと言ってます。
简直像是即兴表演一样。
すごい一発芸みたいな。
看啊,这种语言居然有如此奇特的说法。
なんと、この言語にはこんな変わった言い方があるんです。
然后就说'所以如何如何',简直像小梅太夫的段子一样。
だからホニャララですって、ほぼ小梅太夫みたいなことですよね。
段子的格式都是固定的,以为是这样,结果却是那样。
ネタのフォーマットが決まっていて、何々だと思ったら何々でした。
简直就像畜生一样对吧。
畜生みたいなことですよね。
不是这样的。
違いましたよ。
因为有语法特征,所以才能这样连接起来,完全不是一回事。
文法的な特徴があって、そこからつなげるんだから全然。
不不,抽象化之后不就是那样吗。
いやいや、抽象化するとそうじゃん。
你到底把哪里抽象化了啊?
どこを抽象化しちゃったんだよ、お前。
那个抽象化的位置很奇怪啊,明明是A却变成了B。
その抽象化の位置が変だよそれそう A だと思ったら B でした。
就是畜生对吧。
畜生でしょ。
而沃夫的情况是A。
で、ウォームの場合は A である。
因此应该是B才对。
したがって B であるですよ。
所以几乎是一样的嘛,只是连接词不同。
だからほぼ一緒じゃん接続詞が違う。
在A和B的位置上随便代入喜欢的东西来争论,别争了。
A と B のとこに好きなものを当てはめてもめてるで争うのやめよう。
太无聊了。
くだらないから。
确实太无聊了,这种争论。
確かにくだらなすぎるな、この議論。
请别为这点小钱争吵了。
小銭で争うのやめてください。
不过,作为艺人来说,沃尔夫经常说这种话,虽然没说他是艺人,但那不就是艺人吗?
でも、そういう芸人であると、ウォーフはそういうこといっぱい言っちゃうから、芸人とは言ってないけど、芸人でしょ、それ。
总之就是个胡说八道的艺人呢。
まあまあむちゃくちゃなこと言う芸人ですね。
是的。
はい。
具体来说呢,在沃夫刚才提到的那本《语言、思维与现实》的154页里,有这么一张表格。
具体的にはですね、ウォーフの先ほどのこの言語思考現実の 154ページにこんな表があるんですね。
这张表格是把霍皮语和英语的表达方式并列放在一起的,举个例子,英语里会说“他正在跑步”。
これ、あのホピ語の言い方と英語の言い方を並べているような表なんですけど、例えば英語で彼は走っている。
也就是“He is Running”,还有过去式的“He RAN”也就是“他跑过步了”,这两句话在霍皮语里居然都用类似“沃利”的发音来表达,表格里就是这么写的,两种情况都用同一种说法对吧。
He is Running っていうのと、過去形の He RAN っていう彼は走ったっていうのが、ホピ語だとどっちもなんかワーリーみたいなワーリーみたいな書いてあるわ言い方になってますよね。
要说为什么的话,霍皮语里的表述都是确定的。
なんでかっていうと、ホピ語は確定している。
我觉得它的规则是,只要是事实就会用同一种形式来写,不管是‘正在跑’还是‘跑过了’,既然都是已经确定的事实,那表述方式就完全一样。这套说法确实挺有说服力的,嗯。
事実については同じ形式なので、走っているのも走ったのも同じ確定した事実であるから同じように書くってことだと思うんですけど、なんか説得力あるけどね、はい。
除此之外,我还把各种各样的情况都列出来了,比如“He will Run(他将要跑)”会怎么表述,“He Runs(他跑步)”这个一般现在时又该怎么表达,但霍皮语根本没法用简单的规则来翻译这些。
その他にも He will Run だったらどうなのかとか、He Runs っていう現在形だったらどうなるのか、みたいなのを並べていってるんですけど、簡単なルールで翻訳できるような形になってなくて。
它会添上各种各样的前缀后缀之类的成分,沃尔夫就是靠这些来展示霍皮语的神奇之处的,我也确实明白它和英语的差别特别大。
あれこれなんか設備字がついたり、頭に語がついたりして、ホピ語って不思議だよねっていうことを示しているんですけど、英語とはこれでかなり違うことはわかったと。
之后在他们的物理学方程式中并不包含时间T,但这样真的能运作吗,书中写了这样的内容。
その後に彼らの物理学の方程式の中に T 時間を含まないわけであるが、果たして機能するだろうか、みたいなことを書いてるんですよね。
这是什么意思呢?
どういうことですか。
也就是说,霍皮语使用者与英语使用者的时间认知观完全不同。
つまり、ホピ語は英語話者と時間の認識観が全然違うと。
甚至可以说他们语言中连'时间'这个名词都没有,书中提到他们根本不考虑时间概念。
なんならその時間という名詞もないんだ、みたいなことを書いてたわけで、時間のことを考えてないよと。
是的。
はい。
所以他们建立的物理学理论中,方程式里不存在T这个变量。
だから彼らは物理学の理論を立てていっても、方程式の中に T が存在しない。
书中写道:'他们将在这样的体系中生活下去'之类的意思。
そういう体系で生きていくことになるぞと、みたいなことを書いているわけですね。
听起来真是惊人的飞跃啊。
すごい飛躍そうだ。
话说回来,那不就是刚才聊的内容嘛,说的就是这个事。
てか、だからさっきの話だよね、それ。
不过这也只是他们的语法是这样而已啊,难道他们认知里的世界就真的完全没有时间概念吗?
そういう文法なだけであって、見てる世界的には別に時間わかってんじゃないの。
是这个道理对吧?
ってことよね。
没错,首先这一点就遭到了批判。
そうですね、っていうところとかがまず批判された。
原来如此,所以他从奇特的语法特征出发,中间跳过逻辑直接展开了天马行空的想象,这一点遭到了批判对吧。刚才听你讲这件事的时候,我一直觉得有种说不上的违和感,现在终于明白了。
なるほど、風変わりな文法的な特徴から、従ってを挟んで、すごい飛躍したイマジネーションを語るっていうのが批判されたわけですねなんか今ずっと危機感あるなと思いながらその話聞いてたんだけど、わかったわ。
这是ひろゆき(西村博之)啊。
ひろゆきさんだ。
哦对了,我之前看过ひろゆき的书《1%的努力》,里面的内容把我吓了一跳,书里写着“努力其实没什么意义”之类的话。
ほう、ひろゆきさんの本、1%の努力で俺そっ びっくりなもの見たことあって、ほうほう、努力ってあんま意味ないんですよって書いてあったんすよ。
然后他拿来当论据的那本书,是叫《十种病原菌》吗?是那本书吧?
で、その論拠に挙げられてた本が10病原菌鉄で、そんな本だっけ。
啊咧。
あれ。
我在想,这是什么道理。
と思って、どういう理屈。
结果发现,原来是欧洲人征服了美洲人。
と思ったら、結局そのヨーロッパ人がアメリカの人たちを征服したと。
欧洲的发展更早一些。
ヨーロッパの方が発展が早かったと。
那本书里写的原因是,因为大陆是东西走向的。
その理由は、大陸が東西に長かったからだとあの本には書いてありました。
也就是说,大陆的走向决定了谁会胜出,所以我们再怎么努力也没用。
つまり、大陸の長さによって誰が勝つかっていうのは決まっちゃうから、我々が努力しても意味ないんですって。
真厉害啊。
すごいな。
不是那么回事啦,那个。
そういう話じゃないっすよ、あれ。
不能把这个套用在个人的人生上啊。
個人の人生に当てはめちゃダメですよ。
那是人类历史几万年的故事。
その人類史の何万年の話を。
我的能力是由地形决定的啊。
僕の能力って地形で決まったんですよ。
其实。
実は。
怎么可能有这种事。
そんなわけないだろ。
和父母的养育方式无关,多亏了这个东西狭长的列岛,我现在才能变成这样。
親の育ちとか関係なくて、僕、その東西と南北に細長い列島のおかげで、今、僕こうなってるんですよ。
不对,不是日本列岛的功劳塑造的。
違うよ、日本列島のおかげで形成されてないよ。
所以,我和hiroyuki先生成长的地形几乎一样,我们不就是差不多的人吗?
だから、そのひろゆきさんと僕って育った地形ほぼ一緒だから、ほぼ同じような人じゃないですか。
就是这么回事啊。
そういうことなんですよ。
不对不对。
違いますよ。
按这个道理的话,日本人岂不是都变成差不多的人了。
その理屈だと日本人ほぼ同じような人になっちゃいますよ。
啊?
えっ。
不是这个意思吧。
ていう話じゃないの。
不对不对。
違います違います。
简直一模一样嘛。
そっくりじゃん。
这位听众你搞错了。
すみ なリスナー間違えてるな。
不对不对不对。
違う違う違います。
不,所以我当时真的很惊讶。
いや、だから僕それびっくりしちゃってさ。
不是还有更多类似的书吗?
もっとそういう本あるじゃん。
那些努力都是白费的,或者说,就像迈克尔·桑德尔说的,实力也是运气的一部分,本来应该更偏向这类讨论的,但从《枪炮、病菌与钢铁》里提出的观点却显得很独特,让我很感动。真的很令人兴奋。
その努力って無駄なんだよ、とか、それこそマイケル・サンデルとかさ、その実力も運のうちとかなんか、多分どっちかっていうとそういう話なはずなのに、銃、病原菌、鉄から主張するのはエキセントリックだなと思って感動したんですよね。興奮ですよねだ。
所以和ひろゆき几乎是一样的对吧。
からひろゆきとほぼ同じですよね。
沃尔夫应该也是在类似的地形中长大的吧。
ウォーフは同じような地形で育ったんでしょうね。
而且很火呢,啊,是一样的。
そしてバズってますから、おお一緒だ。
沃尔夫也是,简直一模一样呢。
ウォーフもね、そっくりですね。
是啊,感觉要挨谁的骂了。
はい、誰かから怒られそうだな。
虽然不知道是谁,不过确实呢,正在观看的贾雷德·戴蒙德先生,请务必提起诉讼。
誰かわかんないけど、そうですね、ご覧になってるジャレドダイヤモンドさん、ぜひ訴訟の方お願いします。
要是收到戴蒙德的诉讼那可就有意思了。
ダイヤモンドから訴訟来たら熱いぜね。
那绝对会火起来的。
燃えるぜ、それは。
嗯,说起来,《1%的努力》也是钻石社出版的啊。
うん、思えばね、1%の努力を出したのもダイヤモンド社ですからね。
果然还是该让钻石对战钻石,要是钻石社和贾雷德·戴蒙德打官司就太有趣了。
やっぱダイヤモンド同士で戦っていただいて、ダイヤモンド社とジャレド・ダイヤモンドが訴訟で戦ったら面白いですね。
可以用'钻石战争'这样的名字呢。
ダイヤモンド戦争みたいな名前でね。
肯定会被称为旷世之战吧。
コーセーで呼ばれるでしょうね、きっと。
此外,还有批评指出,虽然沃夫声称对霍皮语进行了长期细致的观察,但实际上他的研究基础仅是与一位居住在纽约的霍皮族信息提供者的对话。
それからですね、まだ批判ありまして、ウォーフはホピ語を長期にわたって慎重に観察したって言うけれども、実際、そのニューヨークに住んでたホピ族のインフォーマントただ一人のみとの対話が調査のベースになってい。
样本偏差太大了,确实如此。
るサンプルが偏りすぎてるな、ですね。
德伊彻的书里提到沃夫从未去过亚利桑那州,但另一方面,在《语言思维·现实的变体解析》这本书中却记载沃夫曾有机会在亚利桑那州的霍皮族保留地居住过一段时间。
ちょっとこのドイッチャーの本には、アリゾナに行ったことは一度もないって書かれてたんですけど、一方で このウォーフの言語思考・現実の変者解説には、ウォーフはアリゾナ州のホピ族保護地域でしばらく滞在する機会を得たって書いてあるんで。
存在矛盾啊,明显矛盾。
割れてるね、割れてて。
我个人倾向于相信沃夫这本书的变体解析部分,所以他应该去过霍皮族居住地,但主要的信息来源还是纽约的那位。
僕はちょっと一応、このウォーフの本の変者解説を信じたいと思うんですけど、だからホピ族が住んでる現地に行ったことはあるっぽいけれども、やっぱそのインフォーマントは基本的にそのニューヨークに。
依赖的是当地居民。
住んでた人に頼っていた。
也就是说,实际上并没有进行充分的实地调查对吧。
だから、結局あんまり聞き取りはちゃんとできてないってことですね。
确实如此。
そうですね。
此外,沃尔夫声称经过长期谨慎调查后发现,霍皮语中不存在相当于时间概念的词汇、语法形式或表达方式,但进行过霍皮语实地调查的语言学家马洛托基在其著作《霍皮时间》中,记载了大量时间表达及
それから、ウォーフはその長期にわたって慎重に調査した結果、時間と呼ぶものに相当する単語とか文法形式とか表現がないって言ってるんですけど、ホピ語の野外調査をした、あのマロトキっていう言語学者が書いたホピタイムでは、数多くの時間表現及び。
时态与体的描述。
時制とアスペクトを記述しているんですね。
所以这里存在争议点,马洛托基的调查与沃尔夫的调查相隔40年,如果假设40年间语言发生了剧变,那么两者结论都成立也是可能的,不过
あるので、ここがちょっとだから争点なんですけど、マロトキの調査とウォーフの調査の間に 40 年空いてるんで、40 年で劇的に変わったっていう仮定を立てればなるほど、どちらも合ってたっていうことになりますけど。
40年能产生这么大变化吗?
40 年でそんな生まれるかね。
你那是什么表情?
何その顔。
呃,我也不太确定。
いや、ちょっとわかんない。
你倒是说句'不确定'啊。
そんなわかんないって言ってくれよ。
那难道是语法问题?
じゃあ文法か。
就是说。
って。
因为这是一个需要花费大量时间逐步推进的过程,很难想象时态或体态这类语法范畴会在短时间内突然发展起来。
すごい時間かかってじっくり進むことなので、すぐに一気にテンスとかアスペクトっていうのが急激に発達するとは考えにくいですよね。
我也觉得40年间不太可能有这么大的发展。
40年でそうそう発展しないと思うからな。
我怀疑沃尔夫在胡扯。
ウォーフがパチコいてる気がするけどな。
胡扯胡扯,骗子沃尔夫说的都是些方言般的胡话,简直离谱到极点。
パチコいてるパチコいてる嘘つきウォーフがなんて方言みたいなパチコく 8超えてるよ。
另外还有研究者指出,霍皮语中表示时间单位的词(比如"一天")也有复数形式,而且空间表达经常被转用于时间表达。
あともう一人の研究者によると、ホピ語には、例えば一日のような時間単位を表す語にも複数形があるし、空間についての表現が時間についての表現に転用されることもあるって指摘してる。
所以说,其实霍皮语里有相当多的时间表达方式。
だから、結構普通に時間表現がいっぱいあるよ、と。
是的。
はい。
关于这一点,虽然与沃夫的调查相隔了大约20年,但解说中提到,不清楚是这20年间发生了变化,还是沃夫故意省略了这一点。
で、一応これもウォーフの調査と20年ぐらい空いてるんですけど、この20年の間に変わったのか、それともウォーフが意図的にこの点を省いたのか よく分からないっていうのは解説に書かれていましたね。
他确实被大家骂得很惨呢。
結構みんなからボロカス言われてますね。
是啊,或许当时最需要的不是扑灭建筑物的火,而是熄灭自己身上的火(指舆论危机)。
そうですね、一番必要だったのは建物の火を消すことじゃなく、自身の炎上を消すことだったのかもしれません。
看来后会有期了,那么接下来我想一个人继续,但就在刚才那一瞬间,我被解雇了。
おあとがよろしいようで、ということで、ここから一人でやっていきたいと思うんですけれども、今の一瞬でクビになったの俺。
希望能多花点时间再解雇我啊。
もうちょい時間かけてクビにしてほしいな。
堀先生将在众人的惋惜中退休。
惜しまれながら堀もさん引退されるということ。
既然现在表示惋惜的话,就别让人退休啊——他之前这么表态过呢。
今惜しんでるならやめさせないでくれ表明されてましたね。
请继续任用我吧。
まだ使ってください。
原来如此,因为沃夫是火灾保险的工程师啊。
そっか、ウォーフがね、火災保険の技師だからってこと。
就是这么回事,就是这么回事。
そういうこと、そういうこと。
突然被称赞上次没提到的内容,确实会让人觉得像是引退宣言呢。
ちょっと前回のから話してない内容を称揚されると、ちょっとやっぱり引退宣言に感じてしまうよ。
不是负责预防火灾的吗?
火災防ぐ役割じゃなかったっけ。
没错,从事火灾保险工作,虽然是保险工作但也要外出调查,进行防火检查之类的。
そうですよ、火災保険の仕事をしていて、保険の仕事か保険の仕事ですけど、調査に出かけてって、その火災を防ぐための点検とかもしてます。
哇,这也太半吊子了。
うわー中途半端だな。
是啊,要是消防工程师之类的就更容易理解了。
そうっすね、もっとなんか消防の技師とかだったらね、わかりやすかったんですけどね。
确实呢,粉丝们肯定都期待复出,要是想回来了希望随时都能取消引退决定啊。
そうっすね、もうぜひファンの方は復帰待ってると思うんで、復帰したくなったらいつでも一回おろすのやめてほしいなあ。
之前呢,在轻松语言学广播的'观点之夜'那期节目里提到过,史蒂芬·平克介绍的批评中指出,关于因纽特人
とはね、ちょっと前にゆる言語学ラジオのビュー説ナイトっていう回であげましたけれども、ピンカースティーブンピンカーが紹介してる批判とかでは、そのイヌイットはね。
说他们有400多个表示雪的词汇,但首先这是博厄斯——萨丕尔的老师——说因纽特人会用互不相关的词根来表示雪
雪を表す語が400以上ある っていうけれども、まずこれはボアズっていう、そのサピアの師匠が、イヌイットは互いに関連のない語根を使って雪を表すと言ったと。
然后沃夫把词根数量增加到了7个
そしたら、ウォーフが語根を7の数に増やしたと。
而且他还暗示可能还有更多
で、しかも、もっとあるかもしれないってほのめかしたと。
由于沃夫的论文被各处引用,结果一度演变成了'有400多个词汇'的说法,他对此进行了介绍
で、ウォーフの論文があちこちで引用された結果、一時期は400以上あるっていう風 になったっていうことを紹介してますね。
把这个数字越炒越高的家伙才是有问题的
インフレさせてったやつが悪いなぁ、これはね。
所以比起沃夫,后来的人更过分呢
だから、ウォーフというよりは、その後のやつがやばいね。
引用不严谨也确实不好,不过也有这样的批评
引用が雑だったってのも良くないと思いますけど、こんな批判もありますね。
博厄斯的观点太朴素了吧。
ボアズの主張、地味すぎない。
我再重复一遍。
もう一回言いますね。
因纽特人使用互不相关的词根来表示雪,这成了他们的专利。
ヌイットは互いに関連のない語根を使って雪を表す特許にしました。
确实太朴素了。
地味すぎるねえ。
真厉害啊,这个根本火不起来。
すごいね、バズらんこれバズらんす。
哈~这就变成谣言了呢。
はー、ご婚ってなりますね。
沃尔夫说词根数量有7个,还暗示可能更多。
ウォーフはご婚の数を 7 と言って、もっとあることもほのめかしました。
可能还有更多呢。
もっとあるかもね。
还没火起来呢。
まだバズないね。
能火400多次。
400 以上バズる。
果然大数字就是有意思啊。
やっぱでかい数字って面白いな。
真厉害啊。
すごいね。
要是有人说有400种的话。
400 あるって言われたらね。
被人这么说的话就会觉得是假的。
言われたら嘘だってな。
难怪会这么兴奋。
さすがに興奮したもんね。
结果传着传着发现真是假的。
嘘だって言って広めた結果、嘘だったっていう。
展开剩余字幕(还有 172 条)
对,确实是假的哦。
はい、嘘らしいですよ。
虽说我感觉自己白白浪费了一堆毫无意义的时间,但如果要问萨丕尔-沃夫假说以及沃夫的那些主张全都是胡编乱造、毫无价值吗?我的看法是并非如此。
何の意味もない時間を使わされたなということでサピアウォーフ仮説及びウォーフの主張ってでたらめでね、無価値だったかというと、そうではないというのが僕の意見ですね。
我也看过太多对这个假说的批判了,那它其实是有存在意义的吗?
さんざん批判見てきましたけど、意味はあったんですか。
最后,我来聊聊目前学界对沃夫这套思想的现代解读。
最後に、このウォーフの思想の現代的な理解。
关于沃尔夫刚才说的内容,我想先说说我个人觉得该怎么理解,之后再结束今天的分享。
今ウォーフが言ったことをどのように受け止めた方がいいのかっていうのを僕なりの考えを喋って終わりたいと思います。
首先,萨丕尔-沃尔夫假说之所以能引发广泛关注,是因为在当时,以西方为中心的语言观和世界观已经传播得非常广了。
まず、サピアウォーフの仮説が注目を集めた理由は、当時、西洋中心の言語観とか世界観っていうのがすごい広がっていたんですね。
而沃尔夫本人虽然是美国人,却对这种主流观念强烈反对。
それに対してウォーフは、アメリカの人ですけど、猛烈に反発しているんですよね。
沃尔夫在他的著作里会特意把印欧语系的语言称作“普通欧洲标准语”,说白了就是专门用这个说法来指代印欧诸语言。
ウォーフはね、本の中でも平均的ヨーロッパ標準語っていう言い方を、いわゆる、だから印欧語ってことですよね、のことを、わざわざその平均的ヨーロッパ標準語みたいな言い方をして。
他其实是在强烈警示西方中心主义。
西洋中心主義にめっちゃ警鐘を鳴らしているんですよね。
他说以美国或欧洲为中心看待问题不好,试图将这种价值观相对化。
アメリカとかヨーロッパ中心で見るの良くないよとそうで、その価値観を相対化しようとしている。
所以我认为沃尔夫把自己的理论称为语言相对论。
だからウォーフは自分の説を言語相対論と呼んだと思うんですよね。
语言并非西方语言最优越,也不是简单地采用原住民语言,而是采取相对主义立场认为各有其优点。看之前对沃尔夫的批评,感觉有些英语中心主义的视角。
言語って 西洋語が一番で、先住民の言葉を取ってるんじゃなくて、それぞれにそれぞれの良さがあるっていう相対主義的な立場を取っているわけですねなんか、今までのウォーフへの批判を見ると、ちょっと英語中心でものを見てて。
我还以为他是在用不同视角看待事物并带点嘲讽,结果动机完全相反啊。
違うものの見方してらーって言ってちょっとバカにしてんのかなと思ったけど、モチベーション逆なんだあ。
是的,这个嘛,我自己也不太理解,是在读了《语言、思维与现实》后才意识到的。
そうですね、それはね、僕もあんまりわかってなくて、言語、思考、現実を読んで思ったんですけど。
比如沃尔夫说的观点是,印欧语系的英语等欧洲语言既非顶点,也不是适者生存的结果,而只是偶然的产物,这种态度我觉得挺好的。
例えばウォーフが言ってることっていうのは、印欧語族英語とかヨーロッパ系の言語とかは頂点でもなければ適者生存の結果というわけでもなく、これはただの偶然の産物なのだとか言ってるんですよねなんかそれはいい感じの姿勢な気。
确实如此。
がする。
是的。
はい。
而且,沃尔夫真的很厉害。
それから、ウォーフはすごいね。
收录的论文标题大量使用了'科学'这个词,虽然也有《科学与语言学》这类论文,但从语言学视角对科学做出的一个重要贡献是
収録されてる論文のタイトルが科学っていうワードをすごい使っていて、この科学と言語学っていうような論文もあるんですけど、言語学的な視点が科学に対してなす一つ重要な貢献は。
他说这能让我们以更广阔的视角来看待事物。
ものを見る我々の視点がより広く拡大されることなのだ、とか言ってるんですね。
也就是说,通过了解原住民语言,
それはつまり、先住民の言語を知ってなんだ。
沃尔夫自己可能也发现英语并非最优越的语言,每种语言都有其独特的魅力。
英語が一番優れた言語というわけではなくて、それぞれにそれぞれの 魅力的な点があるんだってことをウォーフ自身も多分発見していってると思うんですね。
我想他的老师萨丕尔应该也持类似观点,
それは、その師匠のサピアとかも同様の思想だったと思うので。
所以举个例子,这本书里有段话——再介绍一个例子:霍皮语中有个表示'狗'的词汇,但它可以泛指任何作为宠物或饲养的动物。
だから、例えばこの本の中に出てくる一節、もう一個紹介すると、ホピ語で犬を表す単語があるんだけど、これは愛玩用の動物とか飼育用の動物なら何でも指せると犬って言えるんだ。
猫也是如此,如果想表达'爱眼用的鹰',就可以说'鹰犬'这个词,意思就是'爱眼用的鹰',这是在补充说明。
猫でも そうだから、愛眼用の鷲って言いたければ、鷲犬って言い方をすれば、愛眼用の鷲っていう意味になるよっていうことを書いていて、付け足すってことですね。
对此,或许会觉得这是原始语言的一时兴起。
で、これに対して、もしかしたらこれは原始的な言語の気まぐれでは。
可能会这样认为。
と思うかもしれないと。
那我们来看看英语吧。
じゃあ英語見てみましょうかと。
有'hand'这个词对吧。
ハンドってありますよね。
比如,说'HIS Hand'指的是人体的某个部位,但说'our Hand'时,指的是时钟的时针,那个表示1点、2点等时间的时针。
例えば、HIS Hand 堀本のハンドって言えば、人体のある部分を指してますけど、our Hand って言うと、これ、時計のね、単針アワーって、あの時間、1 時とか 2 時とかの時間の単針ハンドのね、を指すし。
'All hands on the desk'指的是甲板上的全体船员。
オールハンズオンザデスクってのは甲板上の全乗組員。
也就是说这里的'hands'指的是船员。
つまりこのハンズってのは乗組員を指すと。
那如果说‘a good hand at gardening’,意思就是擅长园艺工作的人,这么解释就通顺了。
それからアグッドハンドアットガーデニングといえば、庭仕事の上手な人なるほどになるわけだし。
原来是这样,所以不管是时钟的指针、船员还是能力水平,都能用‘hand’来表达对吧。
そっか、だから時計の針も乗組員も上手さもハンドで表してるんだはい。
还有,连扑克牌的手牌也可以用‘hand’来表示,另外如果说‘he got an upper hand’,就是指他占据了优势。
それから、ただトランプの手札とかも ハンドって言えるし、それからヒガッタアッパーハンドっていうと、彼は優勢になった。
所谓优势,就是所处的形势变得更有利了,但这个用法里的‘hand’已经不指代任何具体事物了。
優勢っていうのは、情勢がより有利になったってことですけど、これなんかもうハンドで何も指していないと。
所以可能有人会吐槽“怎么能用指代狗的词来指代鹰啊”,但英语里的情况其实更夸张,和霍皮语根本没区别,这么一想就懂了。
だから、お前、犬使ってわし指すなんて、とか 思うけれども、英語なんかもっとひどいというか、全然ホピ語と変わんないじゃん、となるほどね。
那我搞明白沃尔夫想做什么了。
じゃあ、ウォーフのやりたかったこと、わかってきたぞ。
他实在太想告诉大家,每个人看待事物的角度都不一样,而这种多样性本身就很有意义,所以才会举这么多不同视角的例子来展开说明。
みんな違う見方をしてるんだけど、それはそれで素晴らしいんだっていうことを言いたすぎて、違う見方を持っていっぱい喋っちゃう。
应该就是这么回事吧。
そういうことですかね。
确实,虽然我不确定是否该用'拿着说'这样的表达,但大概就是这种感觉吧。
そうですね、僕がその、持って喋っちゃうってまで言っていいかわからないけれども、そういう感じだよね。
我觉得可以这样理解。
そういう理解をしていいと思います。
这本书里也提到,沃尔夫不仅出于纯粹的学术兴趣,还试图传达他所感受到的语言中某种难以言喻的魅力,以及对西方中心思想的抵触。
この本の中にも、ウォーフは純粋に学問的な関心ばかりじゃなくて、自分が感じ取った言語の、ある種の言葉にできないような魅力っていうのをなんとか伝えたいっていうのと、西洋中心的な思想に対する反発。
还有对非西方文化——即与美洲原住民语言接触时所体验到的震撼。
それから非西洋的なもの、つまりアメリカに住んでる先住民の方の言語と接して経験した驚き。
这种颂扬的意愿,以及想让人们理解语言学是一门有效学科的渴望,以各种形式交织在一起。
それを称揚したいという気持ち、それから言語学は有効な学問であるってことを理解させたいという欲望が様々な形で絡んでいるんですね。
因此,阅读沃尔夫作品的人,会从中获得多元化的解读。
そのため、ウォーフを読む人は、ウォーフから読み取ることが様々になってしまうっていう。
也就是说,如果不理解当时西方中心的时代背景,沃尔夫的主张会显得荒谬,但他真正想做的,其实更像是一场思想运动。
つまり、ウォーフの主張って、当時の西洋中心的な空気っていうのを理解せずに読むとでたらめになるんだけれども、彼がやりたかったことっていうのは、もっとなんか思想的な運動でもあったんだっていうふうに読まな。
必须这样理解才行——听你这么一说,确实感觉和网络意见领袖的形象重叠了呢。
ければならないと思うんですねなんかそれ聞くとやっぱりね、インフルエンサーの姿が重なるなぁと思って。
大府并没有什么特别想传达的信息。
大府にうんなんか伝えたいことがあるわけじゃない。
社会上确实有很多人,他们过度热衷于表达‘社会应该怎样’或‘应该向这里捐款’这类偏激的强烈主张。
社会はもっとこうあるべきだとか、ここに寄付すべきだとか言いたすぎて、エキセントリックな強い主張しちゃう人とか結構いると思うのよ。
是的,怎么说呢。
はいなんか。
所以,我觉得就是这个了。
だから、それ これだなって思いました。
因此,如果更贴近互联网来说,在沃夫之前应该没有因为同样原因走红的人吧。
だから、よりインターネットに紐付けて言うと、ウォーフ以前にバズった人なんでいないんだろう。
也就不会产生这样的疑问了。
っていう問いも生まれません。
确实,同样的主张如果用不同语言表达,看到的世界也会不同——这种观点本身就很容易引发热议。
確かに、その同じ主張で結構、その言葉が違えば、見てる世界も違うんだっていう主張って、そもそも結構バズりやすい。
挺有意思的呢。
面白いもんね。
这不是很有潜力吗?
ポテンシャルあるじゃないですか。
确实有些话题人物存在。
あのバズった人います。
还有其他例子呢。
他にもいるんだはい。
这就是我们第一次提到的德国语言学家魏斯格贝尔,他提出了一个由群体定义的语言中介世界的概念。
それがね、1 回目で話したバイスゲルバーっていうドイツの言語学者なんですけど、彼も集団によって規定された言語的中間世界みたいな概念を挙げてるんですけど。
这个概念认为,使用某种语言的人会认知到该语言使用者所看到的世界。
ある言語を使うと、その言語話者が認識する世界みたいなのがあるんだっていう概念。
日语使用者看到的是日语使用者的世界,这直接强化了母语的概念,结果演变成了民族主义。
日本語話者には日本語話者の世界が見えているとそうで、これそのまま母国語っていう概念を強調してしまって、へえ、ナショナリズムになったっていう。
哦。
へえ。
因此,尽管魏斯格贝尔本无此意,他的理论却被与国家主义思想联系起来,导致魏斯格贝尔及其学说继承者们...
で、そのせいでですね、ヴァイスゲルパーが意図してなかったのに、国家主義的な思想と結びつけられて、その結果、ヴァイスゲルパーおよびその学説を継承する人たちはですね。
第二次世界大战后被大学彻底驱逐了。
第二次世界大戦後大学からめっちゃ追われました。
哇——都怪你纳粹才崛起的不是吗?
うわーお前のせいでナチスが台頭したじゃないか。
演变成这种情况就是说,这种思想也可能往坏的方向传播开来。
みたいな感じになったってことはい、つまりこの思想って悪い方向でバズることもあるんですよ。
哇——哇——
うわーうわ。
不过感觉确实有可能。
でもなんかありそう。
很有可能对吧,极容易被民族主义者利用。
ありそうでしょう、ナショナリストにめっちゃ利用されそう。
比如说,如果被告知只有日语使用者才能感知某个世界,就可能被利用来制造'你与住在隔壁的日本手语使用者永远无法相互理解'这样的现实。
例えば、日本語話者にしか知覚できない世界があるのだと言われたら、あなたの横に住んでるかもしれない日本手話の話者とは分かり合えない、みたいな現実に利用されるリスクがあるんです。
所以萨丕尔-沃尔夫假说的运用方式必须谨慎,危险程度可能达到SS级,这个传奇理论如果使用不当就会引发恶劣的传播效应。
これはだからサピアウォーフの仮説って付き合い方を気をつけなきゃいけない 危険度 SS かもしれんそう、だからこの伝説って下手な使い方をすると悪いバズり方をするんです。
对啊。
そうだね。
那话说回来,为什么呢?
で、なんで。
那如果要问沃尔夫本人有没有落到这个境地,首先得说,在他所处的那个时代,印欧语系的地位极高,而沃尔夫却对这一观点提出了相对化的解读。
じゃあウォーフはそうならなかったかというと、まずウォーフは当時、印欧語が非常に高い地位にあったっていうことに対して、それを相対化した。
对,他的著作里提过类似的观点:所有语言都有自身独有的、无法被其他语言替代的特征,只要意识到这一点,人们就能秉持谦逊的态度,进而生出对全人类的博爱之情。确实,这是在讲语言多样性的意义啊。
うんうん、すべての言語にはそれなりの他の言語でもって変えることのない特徴があり、そしてこの点を意識すると、人は謙虚な態度を持ち、そしてすべての人間に対する兄弟愛が導かれるのだ、みたいなこと書いてるんですよね。なるほど多様性の文。
所以你是一直在强调这一点是吧。
脈でそれを強調したってことですね。
对的,令人惊讶的是沃尔夫那篇题为《语言、精神与现实》的论文。
はい、びっくりするのは、ウォーフの言語と精神と現実っていう論文。
在这篇收录了关于语言、思维与现实探讨的论文里,有一部分专门论述了日本以及日语相关的观点。
この言語、思考、現実におさめられているところの中に、日本論、日本語論を あげているところがあるんですね。
刚刚我已经把这部分内容展示给堀本先生了,论文里把日语描述得非常美好。
今、堀本さんの手元に出したんですけれども、日本語のことを美しいって表してくれているんですよね。
他还用上了“可爱”这样的词来形容呢。
ラブリーとか言ってくれてるんですよ。
说的就是日语的结构。
日本語の構造のこと。
作为日语优美特质的其中一点,一个句子里可以存在两个主语,都带主格标记,这一点也是被提及的内容。
日本語の美しいパターンの一つとして、文には主格をことにする 2 つの主語があってもよいということがある。
主格就是那个对吧,是资质的“资”加上格助词的“格”组成的主格对吧。
主格ってのはあれですよね、資質の資に格助詞の格で主格ですよね。
对的对的,就是这个,你看,所谓的双重主语句,也就是“大象的鼻子很长”这种句子,他还把这个结构称作漂亮的模式呢。
そうそう そうそう、これ、あの、あれですね、いわゆる二重主語構文っていう象は鼻が長いの、あれですね、あれのことを美しいパターンって書いてますよね。
这篇论文写于1941年,也就是珍珠港袭击发生前不久,那段时间日美关系正不断恶化。
この論文書かれたのって1941年、つまり真珠湾攻撃のすぐ前の日米関係が冷え込んでた時期なんです。
那可是形势最糟糕的时候啊,当时的整体氛围就是那样。
最悪の時じゃん で、この雰囲気。
他居然和当时美国的主流论调唱反调,夸赞日语的结构美妙又合理,这点真的很有见地。
この当時のアメリカの雰囲気に反 して、日本語の構造をラブリーなるほどだって言っているんですよね。
这个啊,很有骨气。
それはね、気骨があります。
这个确实很有骨气。
これ、気骨ありますよ。
很厉害对吧?
すごいやるじゃんでしょ。
正是由于沃尔夫始终坚持这种兄弟、爱人、类爱的视角,才没有造成恶劣的影响。
こういうふうにウォーフは兄弟、愛人、類愛みたいな視点を徹底してたからこそ、悪いバズり方はしなかった。
可以说他没有像魏斯格贝尔那样造成恶劣影响。
バイスゲルパーほど悪いバズり方はしなかったと言えるんですね。
说其他语言也有同样优秀之处,这与帝国主义潮流是不相符的。
他の言語にも等しく素晴らしいところがありますよっていうのって、帝国主義の流れには合わないもんね。
是啊,不可能说成是要去侵略殖民的。
そうですね、侵略して植民地にしてやろうって話にはならないもんな。
实际上,日本在战争期间也通过宣扬日语非常优秀来正当化在殖民地的日语教育,特别是在1941年这样的战争中期。
そしたら実際、日本だって戦争中、日本語は非常に素晴らしいっていう言説を生み出すことで、植民地での日本語教育を正当化するっていうことがありましたから、これはとりわけ1941年みたいなど、真ん中戦争のタイミングで。
我认为说出这样的话需要相当大的勇气。
言うのには相当な勇気が必要だったと思いますよ。
确实这么一听,感觉相当先进或者说是一篇精彩的论述呢。
確かにそう聞くとかなり先進的というか、素晴らしい論考な感じしますね。
是的,从这个意义上说,我觉得这既是当时的热门思想,也是现在应该再次流行的观点。
そう、その意味では、当時バズったし、今またバズるべき思想でもあると僕はちょっと思いますね。
这本书如今仍有阅读的价值。
この本が今読まれる意味はある。
对,我也这么认为。
そうだね、と思う。
还有就是关于hiroyuki先生,虽然能理解他的主张内容,但总觉得有点过于偏激了。
あと、やっぱりひろゆきさんでさ、主張の内容はわかるんだけど、ちょっと論史行き過ぎてない。
这种感受似乎很多人都有共鸣,就像刚才说的'努力过头也是白费,不必太拼命'这种教导。
っていう感じが、やっぱ多くに共通してるなというか、はい、さっきのその 努力ってあんまりやっても無駄だから、頑張りすぎなくていいっすよっていう教え。
其实我也差不多是这样。
俺も割とそうなのよ。
当你处于那种不幸的境遇时,没必要认为是自己不够努力造成的。
そんななんか不遇な状態にある時に、俺が努力が足りなかったせいだとか思わなくていいんじゃない。
虽然能理解这个观点,但用东西方差异来解释的话,总觉得哪里不太对劲,沃夫理论也有同样的问题吧。
っていうのはわかるのに、それを東西に長かったからなんて説明したらそれじゃないけどなっていうウォーフも一緒ですよね。
不过结论本身是好的。
結論はいいんだけどな。
啊——就是感觉论证过程有点...怎么说呢。
あー、ちょっと論資がなーっていうイメージかな。
确实如此,要说广受争议的十分钟剧场和沃夫理论的区别,后者至少还介绍了当时鲜为人知的美国原住民语言。
そうですね、そこまでちょっとひろゆきさんの10秒劇に鉄ほど駅線というかというと、まだあのウォーフの方が、例えば、その当時知られてなかったアメリカ先住民の言語の紹介って。
这方面确实有积极意义,虽然不能说完全对应,但能明白他想表达什么。
面でもそれはプラスだと思うし、全部が全部対応してるとまでは言えないけど、言わんとすることはわかります。
说得不够干脆。
歯切わる。
我也在那儿絮絮叨叨说了不少呢。
俺もちゃもちゃ喋ってたね。
那么总结一下到目前为止的讨论,沃夫首先受到了批判。
ということで、ここまでの話をまとめると、ウォーフはまず批判されました。
对吧。
と。
比如有人提出的所谓‘能吃的东西才用“吃”这个动词来表述’这类说法,其实不管是英语还是日语,想这么解释都能行得通;而且沃夫的那些调查内容,比如他说霍皮族里没有描述时间的表达,
それは食べられることがやむで食べたを表すんだ、みたいなのって、やろうと思えば英語でも日本語でもできちゃうし、ウォーフのその調査の内容、例えばホピ族には時間を表す表現がないのだ。
这类说法的真实性也受到了质疑,就是这么回事。
みたいなものがあってるかどうかについては疑義が呈されてるよ、と。
但沃尔夫所说的并非无稽之谈,也不是说现在没必要读他的著作,而是他希望通过萨丕尔-沃尔夫假说来相对化那种认为以西欧为中心的西方语言最优越的思想。
でもウォーフが言ってたことはでたらめで、今読む必要がないのかというとそうではなくて、彼はサピアウォーフの仮説を通して、西欧中心的な西洋語が一番だ、みたいな思想を相対化したかったのだと。
作为实现这种思想的一种手段,他提出了例如奇特的语法特征等观点,在当时西方语言被更为僵化地推崇的时代里,一度引起了人们的震惊。
そうした思想を実現する一つの手段として、例えば風変わりな文法的な特徴みたいなのを提示して、当時はもっとガチガチに西洋語がすごいと言われてた時代に一旦驚かせて。
我觉得在这期间还需要具备说服他人的技能吧。
その間に説得するみたいなスキルも必要だったんじゃないかと思うんですよね。
我读的时候也觉得,作为方言可能说了些很了不起的话。
方弁としてすごいこと言ってた可能性もあると思って読みました。
我是说。
僕は。
所以就是那个道理对吧。
だからあれですよね。
与其对人说些讨厌的抱怨话,不如多给予赞美和积极的话语——但直接这么说可能效果不好,就像水如果听了许多脏话,结冰时就会形成丑陋的结晶。
人に対して嫌なことグチグチ言うよりも、褒めたりとか明るい言葉を投げかけた方がいい って普通に言っても伝わ ないから、水って悪口をいっぱい言って聞くと汚い結晶になって。
而听到美好话语的水结冰时会产生非常漂亮的结晶——用这种让人惊讶的说法来传达对吧。
いい言葉を聞いて凍らせるとすごい綺麗な結晶になりますよ、とか言ってびっくりさせるっていうあれですよね。
那样不行啊。
ダメなんだよそれ。
这是对科学的亵渎。
科学への冒涜なんだよ。
你是在说这种做法有问题吗?
それがダメだって話をしてるのか。
对对,不过确实呢。
そうそう、でも確かにな。
从结构上来说,结构上就是这么回事吧。
構造的には、構造としてはそういうことでしょ。
说些让人惊讶的话,让大家听这个故事的机制。
ちょっとびっくりさせることを言って、みんなにその話聞いてもらうっていうシステム。
所以很困啊,因为沃尔夫的思想在现代,被评价为具有先进性,我说过没有责备的意思,但这个主张现在被堀本先生的开篇...
ねむずいねだから、ウォーフの思想が現代ではね、先進的だったって評価されてるから、とがめがないって僕は言ったけれども、その主張がね、今の堀本さんの書き出しによって。
相对化了,现在变得没有立足之地了。
相対化され、今立つ瀬がなくなってきました。
确实可能是这样。
確かにそうかも。
确实对结论稍微掺杂了些干扰因素。
確かにちょっと結論に対してノイズを差し込んでしまった。
提出了关键的反驳呢。
クリティカルな反論をしてきましたね。
确实按这个道理来说,对水的留言也会变成好事,但这样真的可以吗?
確かにその理屈で言うなら、水への伝言もいいことになっちゃいますけど、いいんですか。
确实可以的。
確かに いいんですよ。
对水传递信息这件事。
水への伝言は。
不对不对。
違う違う。
不能往那个方向走。
そっち行っちゃダメよ。
否定水能传递信息。
水への伝言を否定する。
实际上就是会这样,漂亮的结晶。
実際そうなるんだし、綺麗な結晶。
啊,走向伪科学信徒了。
あー、擬似科学信者行った。
真厉害啊。
すごいな。
你这家伙,为了坚持自己的结论太过头了,都开始相信伪科学了吧。
お前、自分の結論貫き通したすぎて、擬似科学信じ始めたじゃん。
是啊,刚才差点就糟糕了,我们俩差点同时在这个视频里宣布引退呢。
そうですね、まずいことを今ギリギリまで二人とも同時にこの動画で引退するところでしたね。
好险好险。
危なかった危なかった。
那么,下次我们打算做一期关于电影《降临》感想的节目。
ということで、次回は映画メッセージの感想を語る回をやりたいと 思っています。
就是那部涉及萨丕尔-沃尔夫假说等概念的科幻电影《降临》。
サピアウォーフの仮説っていう単語とか存在を映画のメッセージという SF 映画。
通过这期节目,应该有不少人第一次知道《轻松语言学广播》第5集里就提到过《降临》这部电影。
これで知った人も結構いるとゆる言語学ラジオの第5話とかからすでにメッセージ。
很有趣的,请大家一定要看看。
面白いんで見てください。
因为一直有观众留言说'看了之后来聊聊吧',所以这个企划时隔五年终于实现了。
見て語ってくださいっていう声来てたから、5年越しでの実現ですね。
好的。
はい。
我和堀本先生都看过这部电影,在互相交流感想的同时,我还稍微学习了沃夫的理论,对萨丕尔-沃夫假说也有一定研究,希望能从人类视角谈谈这些内容。
僕も堀本さんも 見てきて、お互いの感想を交換しつつ、僕はちょっとウォーフの勉強をしたり、サピアウォーフの仮説についてもある程度勉強したので、その人間からどう見えるのか、みたいなこともお話できればと思いますし。
其实我读了《语言、思维与现实》这本书后,觉得应该能对《降临》做出不少批评性解读,所以打算带着'作者可能想表达这些'的视角来重新观看。
僕は実はその言語、思考、現実を読んで、メッセージを結構批評できるんじゃないかみたいな気もしているので、実はこういうようなことを描きたかったんじゃないかみたいな目で見てみようと思ってます。
那会是个很棒的企划呢。
それいい回になりますよ。
在《轻松计算机学广播》里,我们以前聊过《模仿游戏》这部关于艾伦·图灵的电影。
ゆるコンピューター学ラジオで、昔さ、イミテーションゲームっていうアラン・チューリングの映画。
我说过当你在深入研究图灵后再看这部电影,感受会完全不同——因为能发现很多艺术加工的点,比如'图灵根本不会说这种话啦'之类的。
チューリングの勉強をむちゃくちゃした後に見ると、全く違う映画になったっていう話したんだけど、やっぱ脚色ポイントがいっぱいわかるから、それチューリングそんなこと言ってないけどな。
这种发现特别有意思对吧?
とかがおもろいですよね。
所以接下来这一周,在下次节目发布前,也建议大家抽空看看《降临》,这样下期节目会更有共鸣,敬请期待。
なので、この1週間、来週公開されるまでに皆さんもぜひちょっとメッセージ見といてもらえると次回楽しめると思うので、ぜひご覧いただければと思います。
录制阶段时似乎可以在Amazon Prime Video上观看。
収録日段階では Amazon プライムビデオで見れるようでした。
太好了太好了。
よかったよかった。
那大家基本都能看到了呢。
じゃあ、だいたい見れますね。
那么请大家继续支持我们,期待您的订阅、点赞和评论反馈。
それでは引き続き皆さん、チャンネル登録、高評価、感想のコメントなどお待ちしております。
以上致谢环节。
以上お礼しましょう。
非常感谢大家。
ありがとうございました。
非常感谢,堀本先生。
ありがとうございました、堀本さん。
是的,从不会因为表达不畅而烦恼。
はい、うまく話せなくて悩むことってありません。
经常有这种情况。
よくあります。
我为有这样烦恼的人写了一本非常合适的书。
そんな悩みを抱える方にぴったりな本を書きました。
哦,书名是《对话的0.2秒语言化》,这是一本聚焦于对话中短暂瞬间的书籍。
ほう、タイトルは会話の 0、2 秒を言語化する、会話のわずかな間にフォーカスした一冊です。
请大家一定要购买。
ぜひ皆さん買ってください。
关于 Bayt 播客
Bayt 提供中文+原文双语音频和字幕,帮助你打破语言障碍,轻松听懂全球优质播客。